靖国神社
靖国神社(やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社で、招魂社を起源とし、1853年(嘉永6年)以降の国事に殉難した人々の霊、約246万6千余柱を祀るとされています。祭神は「みたま」と呼ばれ、表記には「神霊」の字が用いられます。明治以降の日本の戦争・内戦に関わる戦没者を中心に祀る性格を持ち、社殿のほか境内には関連施設として遊就館(資料館)も置かれています。
靖国神社(やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社で、招魂社を起源とし、1853年(嘉永6年)以降の国事に殉難した人々の霊、約246万6千余柱を祀るとされています。祭神は「みたま」と呼ばれ、表記には「神霊」の字が用いられます。明治以降の日本の戦争・内戦に関わる戦没者を中心に祀る性格を持ち、社殿のほか境内には関連施設として遊就館(資料館)も置かれています。
高尾山薬王院(正式名:高尾山薬王院有喜寺)は、東京都八王子市の高尾山にある真言宗智山派の寺院で、関東三大本山の一つ。創建は天平16年(744)に行基が開山したと伝わり、当初は薬師如来を本尊としたことが「薬王院」の名の由来。南北朝時代の永和年間(1375〜1379)に俊源が入山し、飯縄権現を守護神として奉祀して以降、飯縄信仰の霊山として栄え、修験道の道場としても知られる。参道のスギ並木は「八王子八十八景」に選ばれている。
日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町に鎮座する山王信仰の神社で、主祭神は大山咋神。江戸三大祭の一つ「山王祭」(例祭6月15日)で知られ、旧社格は准勅祭社(東京十社)・官幣大社。創建は鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀ったのが起源とされ、1478年に太田道灌が江戸城築城に際し川越の仙波日枝神社を勧請したことに始まる。徳川家康の江戸入府後は江戸城鎮守となり、城外遷座を経て1659年に現在地へ。1945年の空襲で焼失後、1958年に再建された。
浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺。聖観世音菩薩(浅草観音)を本尊とし、坂東三十三観音の第13番札所、江戸三十三観音の第1番札所でもあります。起源は推古天皇36年(628)に、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟が観音像を得た伝承に始まり、郷司の土師中知がこれを祀ったとされます。もとは天台宗でしたが、1950年に独立して聖観音宗の本山となりました。境内は雷門や仲見世、宝蔵門、本堂などが知られ、旧本堂は1945年の東京大空襲で焼失後、1958年に再建されました。
芝大神宮(しばだいじんぐう)は、東京都港区芝大門に鎮座する神社で、旧社格は府社、東京十社の一社。主祭神は天照皇大御神と豊受大御神で、伊勢神宮の内宮・外宮の祭神を祀ることから「関東のお伊勢様」とも称されます。起源は武蔵国の伊勢神宮の御厨(飯倉御厨)に創祀された神明社にあるとされ、社伝では1005年(寛弘2年)に伊勢の内外両宮を勧請して創建。源頼朝の神領寄進、戦国期の武家の崇敬、豊臣秀吉・徳川家康の社参などを経て、1598年に増上寺移転に伴い現在地へ奉遷しました。例祭は9月16日で、9月の「だらだら祭り」などでも知られます。
護国寺(ごこくじ)は、東京都文京区大塚にある真言宗豊山派の大本山で、山号は神齢山、院号は悉地院(別称:音羽護国寺)。1681年(天和元年)、徳川綱吉が母・桂昌院の願いを受け、亮賢に命じて建立したのが始まりとされます。本尊は桂昌院念持仏の如意輪観音(秘仏)で、江戸三十三観音札所の第13番としても知られ、江戸期には出開帳の宿寺として人気を集めました。明治維新後は祈願寺としての後ろ盾を失い、境内の一部が皇族墓地(豊島岡墓地)や軍用墓地となって縮小。大正〜昭和初期には高橋義雄(箒庵)らが境内整備を進め、月光殿の移築などを行いました。現在、本堂や月光殿などが重要文化財です。
神田明神(正式:神田神社)は、東京都千代田区外神田にある神社で、神田祭で広く知られます。主祭神は大己貴命・少彦名命・平将門命の三柱で、縁結び、商売繁昌、除災厄除などの信仰を集めます。社伝では天平2年(730年)創建とされ、神田(かんだ)が伊勢神宮の御田に由来する土地で、その鎮めのために祀られたと伝わります。氏子地域は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内など広範囲に及び、旧社格は府社、現在は別表神社・東京十社の一社です。
増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園にある浄土宗の大本山で、山号は三縁山、正式名は三縁山広度院増上寺。本尊は阿弥陀如来。前身は9世紀に空海の弟子・宗叡が建立した光明寺とされ、1393年(明徳4年)に酉誉聖聡の時代に浄土宗へ改宗して「増上寺」と改称し、これが実質的な開山とされます。江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として厚い保護を受け、境内には徳川家霊廟や重要文化財の三解脱門などが残ります。関東大震災や戦災などを経て伽藍は再建され、現在も都心の寺院として信仰と文化の拠点となっています。
成田山 東京別院 深川不動堂(通称:深川不動尊)は、東京都江東区富岡にある真言宗智山派の寺院で、千葉・成田山新勝寺の東京別院です。起源は元禄16年(1703年)、江戸の庶民の間で成田山の不動明王信仰が高まり、富岡八幡宮の別当寺・永代寺で成田不動の出開帳が行われたことに始まります。江戸時代には出開帳が計12回実施され、多くが永代寺で開催されました。明治の神仏分離で永代寺は廃寺となる一方、不動尊信仰は続き、1878年に現在地で「深川不動堂」として存続が認められました。本堂は関東大震災・東京大空襲で焼失しましたが、本尊は運び出され難を免れています。現在の本堂は2011年に完成し、護摩供養が行われています。